五節舞と出雲大社


 昨年の11月11日に出雲大社の拝殿において五節舞が奉納された。これは大社の歴史における画期であると思う。ここではこのことの意味を考えてみたい。

  

  
   出雲大社で舞われた五節の舞 出雲大社のHPより

 五節舞は天武天皇が吉野宮へ行幸した折、日暮れに琴を弾くと雲の中から天女が現れ、降りてきて袖を5度翻して舞ったとの故事が起源とされている。袖を振りながら舞うというから「袖振り」を得意とした天武天皇になんともふさわしい舞である。

 平安時代の歌人、良岑宗貞(後の僧正遍昭)が五節の舞姫を見て詠んだ歌「あまつ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」が『小倉百人一首』にも入り、有名である。

 五節舞は公的には宮中のみで舞われる舞で平安時代には大嘗会(舞姫五人、舞姫は叙位にあずかったという)、新嘗会(舞姫四人)で奏されたが、南北朝以後戦乱のため廃絶され、大正天皇の即位の時に復活した。現天皇の大嘗会の時にも奉舞されている。

 問題はこの天皇家の舞と言ってもいいほど天皇家に密接なかかわりを持つ五節舞がなぜ出雲大社で舞われたかである。宮中でも大嘗会の時しか舞われる事はなく、天皇家に特に縁の深い伊勢神宮、平安神宮、明治神宮などでも現在では舞われることはないから出雲大社で舞われたことは極めて異例なことである。

 皇室に対する崇敬の念が特に篤い出雲大社が何の根拠もなく五節舞の奉納を認めたとは考えられない。また奉納されたことに対して神社庁や他の神社から苦情が来たとも聞かない。

出雲大社のHP(http://www.izumooyashiro.or.jp/kamigami/izumo/index.html)にこのような記事がある。


 大国主大神は、「だいこくさま」と申して慕われている神さまです。だいこくさまは、「天の下造らしし大神」とも申しますように、私達の遠い遠い親達と喜びも悲しみも共にせられて、国土を開拓され、国づくり、村づくりに御苦心になり、農耕・漁業をすすめ、殖産の法をお教えになり、人々の生活の基礎を固めて下さいました。また、医薬の道をお始めになって、今もなお人々の病苦をお救いになる等、慈愛ある御心を寄せて下さったのです。


 実に具体的で断定的な書き方である。大国主神が昔出雲にいた人物らしいぐらいの認識ではとてもこのような書き方はできないだろう。出雲大社は大国主神が日本の国の形を造った天武天皇のことであることをよく認識しているからこそこのような書き方ができるのである。

 しかしそのことを大社の関係者たちは口を堅く閉ざして語ることはない。なぜならその奥には天皇家の出自にかかわる重大な問題が横たわっているからである。

 五節舞は神話や古代史を解き明かす重要な鍵の一つである。