第三章 スサノオの正体は誰か


 八千矛神とスセリビメの石像

 因幡の白兎と大国主神の根の国訪問の話の次には八千矛神の妻問の話が続く。
 大部分が長編の歌謡で構成され、高志の国(現在の北陸地方)に住む沼河比売に求婚する八千矛神とその妻のスセリビメの嫉妬の話である。大国主神の根の国訪問の神話の最後のヤガミヒメとスセリビメの部分と少し似ている。


十、八千矛神の妻問

 八千矛神(大国主神)が越国の沼河比売に求婚しようとしてお出かけになったとき、その沼河比売の家に着いて歌を歌われた。

 八千矛の 神の命は        八千矛の神は
 八島国 妻枕きかねて       大八島国中探しても妻を娶ることができず
 遠遠し 高志の国に        遠い遠い越の国に
 賢し女を 有りと聞かして     賢い女がいると聞いて
 麗し女を 有るりと聞こして    麗しい女がいると聞いて 
 さ婚ひに あり立たし        求婚にお出かけになり
 婚ひに あり通はせ        求婚にお通いになると
 大刀が緒も いまだ解かずて   大刀の下げ緒をいまだ解かぬまま
 襲をも いまだ解かねば      上着もいまだ脱がぬまま
 嬢子の 寝すや板戸を       乙女の寝ている家の板戸を
 押そぶらひ 我が立たせれば   押し揺すぶって 
 引こづらひ 我が立たせれば   何度も引いてお立ちになっていると
 青山に {ぬえ}は鳴きぬ      緑の山ではぬえが鳴き
 さ野つ鳥 雉はとよむ        野には雉の声が響く
 庭つ鳥 鶏は鳴く          庭の鳥の鶏は鳴く
 心痛くも 鳴くなる鳥か        いまいましくも鳴く鳥よ
 この鳥も 打ち止めこせね     叩いて鳴きやめさせてくれよう
 いしたふや 天馳使         天駆ける使いの者よ
 事の 語言も 是をば        これが事を伝える語り言です

 とお歌いになった。しかし沼河比売は、まだ戸を開かずに中からお歌いになって

 八千矛の 神の命           八千矛の神
 ぬえ草の 女にしあれば       なよなよとした女の身ですので
 我が心 浦渚の鳥ぞ        私の心は入江の洲にいる鳥のようです
 今こそは 我鳥にあらめ       今はわがままに振る舞っていますが
 後は 汝鳥にあらむを       後にはあなたのものになるでしょうから
 命は な殺せたまひそ       どうぞ鳥たちを殺さないで下さい
 いしたふや 天馳使         天駆ける使いの者よ
 事の 語言も 是をば        これが事を伝える語り言です
 青山に 日が隠らば         緑の山に日が隠れたら
 ぬばたまの 夜は出でなむ     夜にはおいでになってください
 朝日の 笑み栄え来て        朝日のようにはれやかな顔でやって来て
 栲綱の 白き腕           コウゾの綱のように白い腕で
 沫雪の 若やる胸を         沫雪のように若い胸を
 そだたき たたきまながり     たっぷり愛撫して
 真玉手 玉手さし枕き        玉のように美しい私の手を枕にして
 百長に 寝は寝さむを        いつまでもおやすみください
 あやに な恋ひ聞こし        あまり恋いこがれなさいますな
 八千矛の 神の命          八千矛の神
 事の 語言も 是をば        以上が事を伝える語り言です

 とお歌いになった。そしてその夜は会わずに、翌日の夜お会いになった。
 しかし、八千矛神の大后のスセリビメはたいへん嫉妬深い方であった。そこでその夫の神は困惑して、出雲から大和国にお上りになろうとして、支度をしてお出かけになるときに、片方の手を馬の鞍にかけ、片方の足を午の鐙に踏み入れて、お歌いになって

 ぬばたまの 黒く御衣を       黒い御衣を
 まつぶさに 取り装ひ       すっかり着飾り
 沖つ鳥 胸見る時         水鳥のように首を曲げ胸元を見渡し
 はたたぎも これは適さず    袖を上げ下ろしして見るもどうも似合わぬ
 辺つ波 そに脱き棄て       岸辺に寄せた波が引くように後ろに脱ぎ捨て
 そに鳥の 青き御衣を       カワセミに似た青い御衣を
 まつぶさに 取り装ひ       すっかり着飾り
 沖つ鳥 胸見る時          水鳥のように首を曲げ胸元を見渡し
 はたたぎも 此適はず       袖を上げ下ろしして見るもどうも似合わぬ
 辺つ波 そに脱き棄て       岸辺に寄せた波が引くように後ろに脱ぎ捨て
 山県に 蒔きし あたね舂き   山の畑に蒔いたあかねを
 染木が汁に 染め衣を        染め草の汁として染めた衣を
 まつぶさに 取り装ひ         すっかり着飾り
 沖つ鳥 胸見る時           水鳥のように首を曲げ胸元を見渡し
 はたたぎも 此し宜し         袖を上げ下ろしして見るとこれがよい
 いとこやの 妹の命         いとしい妻よ
 群鳥の 我が群れ往なば     群鳥のように皆と一緒に行ったなら
 引け鳥の 我が引け往なば    引かれ鳥のように皆に引かれて行ったなら
 泣かじとは 汝は言ふとも     泣かないとあなたは言うけれども
 山処の 一本薄           山辺にある一本のすすきのように
 項傾し 汝が泣かさまく       うなだれてあなたは泣くだろう
 朝雨の 霧に立たむぞ       その吐息は霧となって立つだろう
 若草の 妻の命           わが妻よ
 事の 語言も 是をば        以上が事を伝える語り言です

 とお歌いになった。そこでその后は大きな杯をお取りになり、夫の側に立ち寄り、杯を捧げてお歌いになって

 八千矛の 神の命や        八千矛の神 
 吾が大国主             大国主神よ
 汝こそは 男に坐せば       あなたは男でいらっしゃるから
 打ち廻る 島の埼埼         巡る島の先々
 かき廻る 磯の埼落ちず      磯の先にはもれなく
 若草の 妻持たせらめ        妻を持っていらっしゃることでしょう
 吾はもよ 女にしあれば      私は女ですから
 汝を除て 男は無し         あなたの他に男はいません
 汝を除て 夫は無し         あなたの他に 夫はいません
 綾垣の ふはやが下に       綾の帳の ふわふわゆれる下で
 苧衾 柔やが下に          絹の布団の 柔らかな下で
 栲衾 さやぐが下に         コウゾの布団の さやめく下で
 沫雪の 若やる胸を         沫雪のように若い胸を
 栲綱の 白き腕           コウゾの綱のように白い腕で
 そだたき たたきまながり      たっぷり愛撫して
 真玉手 玉手さし枕き        玉のように美しい私の手を枕にして
 百長に 寝をし寝せ         いつまでもおやすみください
 豊御酒 奉らせ            御酒を お召し上がり下さい

 とお歌いになった。このように歌われてすぐに夫婦の固めの杯をお交わしになって、互いに首に手をかけて、今に至るまで鎮座しておられる。これらの歌を神語という。

  
 この話は沼河比売に八千矛神(大国主神)が浮気しようとするのをスセリビメが愛の力で引き留めるという物語である。神話には冒険物語や荒唐無稽な話ばかりではなく、このような男女の艶っぽい話もあるのである。
 実はこの物語に関して面白い事実がある。

 奈良県明日香村の飛鳥資料館にある村内の石神遺跡より発掘された石人像(重要文化財)のことである。
 この像は明治三十六年(一九〇三)に現在の明日香村、石神遺跡付近の田の中から一人の農夫によって掘り出された石像で、その後東京帝室博物館(現東京国立博物館)に送られ、長らく保管されていたが昭和五十年に飛鳥資料館の開館に伴い明日香村に里帰りした石像である。

     
               石人像(レプリカ) 飛鳥資料館

 異国風の風貌をした男女が抱きあい、酒を飲んでいるというユニークな趣向の石像である。
 明日香村には数多くの石造物があるがその中でも最も有名な石造物の一つで飛鳥資料館のパンフレットやガイドブックの表紙にも使われている。
 この石造物は飛鳥時代の庭園に使われていた噴水で、男の口にあてた杯と女の口から水が出るようになっていて、飛鳥資料館の前庭にはそのレプリカが置かれていて実際に噴水として使用されている。

 『口語訳古事記』の三浦佑之氏がその著書『古事記講義』の中で指摘しているが、この像はどう考えても「八千矛神の妻問」に登場する八千矛神とスセリビメの像である。話の最後の部分と全く同じ構図で作られている。
 『古事記』の八千矛神の妻問の神話は夫婦の固めの杯を交わし、互いに首に手をかけて、今に至るまで鎮座しているということで終わっている。おそらくこの石人像は今に至るまで鎮座している八千矛神とスセリビメそのものではないだろうか。

 八千矛神とスセリビメのモデルは天武天皇と持統天皇と考えられるからこの石像は二人の愛の記念碑といったところだろう。『古事記』が編纂されたのは、この石像が置かれていた場所からおそらくそう遠い場所ではないだろう。
 『古事記』は飛鳥で書かれていたのである。


 『古事記』の登場人物、そのモデルは天智天皇と天武天皇

 その他、神代には有名な神話として後に紹介するが「山幸彦と海幸彦」の神話がある。この神話は「因幡の素兎」とよく似た構成の物語で兄に迫害された弟が海の底の国に行って魔力のある玉をもらい受け、それによって兄を屈服させるという物語である。
 「因幡の素兎」や「山幸彦と海幸彦」の話のように、『古事記』に記載された物語には天皇や兄に迫害されながらも弟が活躍する話が多いのが大きな特徴となっている。 

 これは『古事記』の中の神話や説話は大国主神の神話のように天武天皇の体験、見聞、周りの人間関係を元に創作された話が多いためと考えられる。
 例えば神武東征の話は壬申の乱における大海人皇子、神功皇后の三韓征伐の話は天武天皇の母、斉明天皇の事跡をもとに作られた話ではないかということは多くの研究者が指摘している。また建内宿禰のモデルは藤原鎌足ではないかとも言われている。

 人代の説話が天武天皇の周りの人間関係を元に創作された話だというのは『古事記』に多い兄妹婚からもうかがえる。
 その一例を紹介しよう。

 皇極天皇の後を継いで即位した孝徳天皇は難波に自らの宮殿を築くが、後に中大兄皇子は皇太后、大海人皇子、中大兄皇子の実妹で孝徳天皇の皇后の間人皇女を引き連れ、飛鳥へ戻っている。皇后に去られ、難波に置き去りにされた孝徳天皇の、それでも皇后を愛おしく思う嘆きの歌が『日本書紀』に残されている。

 その後も間人皇女は中大兄皇子と行動を共にしていたようで、そのことからこの二人は実の兄妹でありながら男女の関係にあったのではないかといわれている。

 実の兄妹で男女の関係とは我々の感覚からすれば驚き以外のなにものでもないが、この時代は血統の純粋性が極端に重視されたのでこのような近親相姦も珍しくはなかった。いわゆる「万葉的おおらかさ」と呼ばれるモラルである。もっともこのことが優生的によい結果をもたらすはずがなく、飛鳥時代から奈良時代にかけて虚弱体質で短命の天皇や皇太子が次々に生まれる結果になった。この時代女帝が多いのはそのためである。

 それはともかくこの二人の関係をうかがわせるような説話がある。
 それは垂仁天皇の皇后の沙本比売(サホビメ)とその兄の沙本比古王(サホビコ)の物語である。要約するとこのような話となっている。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 サホビコは垂仁天皇の皇后で同母妹のサホビメに「おまえは夫と兄とどちらが好きか」とたずねた。「兄さんの方が好きです」と答えたサホビメにサホビコは天皇を殺して国を乗っ取ろうとそそのかした。

 そこでサホビメは寝ていた天皇を何度も刺し殺そうとするのだが、天皇を愛おしくおもっていたサホビメは天皇を殺すことができなかった。
 これに気づいた天皇はサホビメから事の真相を聞き出し、さっそくサホビコを討つべく兵を差し向けるが、兄を哀れに思ったサホビメは兄のもとに走ってしまった。

 裏切られたとはいえ天皇はサホビメを愛おしく想っていたのでなかなか攻め殺すことができなかったのだが最後にはサホビコを殺し、サホビメも兄と運命を共にした。
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 この説話は皇后の妹をそそのかす兄と皇后に裏切られながらも、それでも皇后を愛おしく想う健気な天皇の話だが、この関係は中大兄皇子とその妹で孝徳天皇の皇后の間人皇女という人間関係が全く同一である。この説話は中大兄皇子と間人皇女、孝徳天皇をモデルにして創作された話と思われる。

 このような兄と同母妹の兄妹婚の話はもう一つ存在する。
 允恭天皇の皇太子でありながら同母妹の軽大郎女にうつつを抜かし、その結果失脚して伊予に流され、最後には妹と心中してしまった軽王の物語だ。
 この説話も中大兄皇子と間人皇女をモデルにして書かれた話だろう。

 ところで『古事記』を読んでいると一つの面白い事実に気づく。
 それは大国主神、山幸彦、神武天皇といった天武天皇をモデルにしていると思われる人物は立派な人物として描かれているのに対し、八十神、海幸彦、サホビコ、軽王といった天智天皇をモデルにしていると思われる人物はおよそ立派ではない人物として描かれていることである。

 前述したように『古事記』は天武天皇によって書かれた。立派な人物が天武天皇をモデルにしているというのはあり得ることである。一方、天智天皇がモデルとなっているのがおよそ立派ではない人物ばかりとなっているのは一体どうしたことであろうか。

 天武天皇にとって天智天皇は実の兄のはずである。
 なぜ天武天皇は兄の天智天皇をこれほどまでにこきおろしているのであろうか。
 この謎を探るためには二人の人間関係を調べてみる必要があるだろう。そのためにはさらに神話を解き明かしていく必要がある。

 次に出雲神話における大国主と並ぶもう一人の主役、スサノオの神話について考えていきたい。


 スサノオの神話

 スサノオは大国主神と並ぶ出雲神話の主役の一人であるとともに、日本神話きっての大立者である。

 スサノオは『日本書紀』では速素戔嗚尊、神素戔嗚尊、素戔嗚尊、『古事記』では建速須佐之男命、速須佐之男命、須佐之男命と表記されていて、仏教における祇園精舎の守護神といわれる牛頭天王と習合され、八坂神社(祇園社)、津島神社、牛頭天王社などの祭神として日本中に広く祀られている。
 意外に思われるかもしれないが、今では「てんのう」といえば天皇のことだが中世では「てんのう」といえば天王のことで牛頭天王すなわちスサノオのことであった。

 その他、氷川神社(さいたま市)、熊野大社(島根県)、熊野本宮大社(和歌山県)などの著名な神社にも祀られている。「荒ぶる神」として知られ、そこから厄除けを御利益にしている神社が多いようだ。京都の八坂神社の祭礼として全国的に知られる祇園祭は九世紀に疫病が流行したときに始まった厄除けの祭りである。
 また仏教ともたいへんに縁の深い神で仏教の守り神とされる新羅大明神や熊野権現、蔵王権現はこのスサノオの同体とも、あるいは化身とも言われている。

 スサノオの神話は大国主神同様、『日本書紀』、『古事記』、『風土記』に数多く残されているが、スサノオに関する神話で特に有名な神話はスサノオの八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)退治である。神話といえば真っ先にこの話を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。

 この神話は日本で一頃ブームだった怪獣映画の原型のような話で、東宝映画『日本誕生』という題名で映画化もされていて、この映画に登場したヤマタノオロチが東宝映画『キングギドラ』のモチーフになったともいわれている。

 ここでは少し長くなるが『古事記』における最初の物語の『天地開闢』の神話から『ヤマタノオロチ』までを紹介しておこう。


一、天地開闢

 天と地が初めて分かれたときに、高天原に現れた神の名は天之御中主神(アメノミナカヌシ)、つぎに高御産巣日神(タカミムスヒ)、つぎに神産巣日神(カムムスヒ)である。
 この三柱の神は、みな配偶者のない単独の神で、姿をお見せにならなかった。
 
 つぎに国が幼く、水に浮いた油のようで、クラゲのように漂っていたとき、葦の芽のように萌え上がってきた物から現れた神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂ)、つぎに天之常立神(アメノトコタチ)である。
 この二柱の神も、単独の神で、姿をお見せにならなかった。 
 以上の五柱の神は天つ神の中でも特別な神である。

 つぎに現れた神の名は国之常立神(クニノトコタチ)、つぎに豊雲野神(トヨクモノ)である。
 この二柱の神も、単独の神で、姿をお見せにならなかった。

 つぎに現れた神の名は宇比地邇神(ウヒヂニ)と女神の須比智邇神(スヒヂニ)である。
 つぎに角杙神(ツノグヒ)と女神の活杙神(イクグヒ)である。
 つぎに意富斗能地神(オオトノヂ)と女神の大斗乃弁神(オオトノベ)である。
 つぎに於母陀流神(オモダル)と女神の阿夜訶志古泥神(アヤカシコネ)である。
 つぎに伊邪那岐神(イザナキ)と女神の伊邪那美神(イザナミ)である。

 以上の国之常立神からイザナミまでを合わせて神世七世という。


二、伊邪那岐命,伊邪那美命の国生み

 天つ神一同の命令ということでイザナキ、イザナミの二柱の神に「このただよっている国をつくろい固めて完成させなさい」と仰せになり、神聖な玉で飾った矛(天の沼矛)をお授けになり、お任せになった。
 そこで二柱の神は天の浮橋に立ち、天の沼矛を降して掻きまわした。
 潮をころころとかき鳴らして矛を引き上げたとき、その矛の先よりしたたり落ちた潮水が積もり積もって島となった。これが淤能碁呂島(オノゴロ)である。

 二柱の神はその島にお降りになって、神聖な天の御柱を立て、また広い御殿をお作りになった。
 そこでイザナキはイザナミに「おまえの身体はどのようになっているのか」とおたずねになるとイザナミは「私の身体はほとんどできていますが足らないところが一ところあります」とお答えになった。

 するとイザナキは「私の身体もほとんどできていますが余ったところが一ところある。そこでこの私の身体の余ったところをあなたの身体の足らないところにさし塞いで国土を生みたいと思うがどうだろうか」と仰せになった。
 イザナミは「それがいいでしょう」とお答えになった。

 そこでイザナキは「それなら、私とあなたはこの天の御柱を回って出会い、男女の交わりをしよう」と仰せになった。
 このように約束されて、そこで「あなたは右から回りなさい。私は左から回って会いましょう」と仰せになり、約束の通りに廻るとイザナミが先に「あなたはなんてすばらしい男なのでしょう」といい、つぎにイザナキが「あなたはなんてすばらしい女なのでしょう」と仰せになった。

 それぞれ言い終わった後、イザナキはイザナミに「女が先に言うのは良くないことだ」と仰せになった。
 しかし男女の交わりをして子を生んだが水蛭子(ひるこ)で不具の子であった。この子は葦の船に乗せて流した。
 つぎに淡島を生んだがこの子も子の数には入れなかった。

 そこで二柱の神は相談して「今私たちが生んだ子は良くなかった。もう一度天つ神の処へ行ってどうすべきか申し上げよう」といい、ただちにいっしょに高天原へ参上して天つ神の御意見を仰がれた。
 天つ神は鹿の骨を焼いて占い、「女が先に言ったのが良くない。もう一度帰って言い直しなさい」と仰せになった。

 そこで帰り降って、もう一度、天の御柱を先のようにお回りになった。
 そしてイザナキが先に「あなたはなんてすばらしい女なのでしょう」と仰せになり、つぎにイザナミが「あなたはなんてすばらしい男なのでしょう」と仰せになった。
 このように言い終えて、男女の交わりをしてお生みになった子は、淡路之穂之狭別島(アワジノホノサワケ、淡路島)である。

 つぎに伊予之二名島(イヨノフタナ、四国)をお生みになった。この島は体が一つで顔が四つあり、それぞれの顔に名があった。そこで、伊予の国を愛比売(エヒメ)といい、讃岐の国を飯依比古(イヒヨリヒコ)といい、阿波の国を大宜都比売(オオゲツヒメ)といい、土佐の国を建依別(タケヨリワケ)という。
 つぎに三子の隠岐の島をお生みになった。またの名は天之忍許呂別(アメノオシコロワケ)という。
 つぎに筑紫島(九州)をお生みになった。この島も体が一つで顔が四つあり、それぞれの顔に名があった。
 そこで筑紫の国を白日別(シラヒワケ)といい、豊国を豊日別(トヨヒワケ)といい、肥の国を建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)といい、熊曾の国を建日別(タケヒワケ)という。

 つぎに壱岐の島をお生みになった。またの名は天比登都柱(アメヒトツバシラ)という。
 つぎに対馬をお生みになった。またの名は天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)という。
 つぎに佐度の島をお生みになった。
 つぎに大倭豊秋津島(オオヤマトトヨアキツ)をお生みになった。またの名は天御虚空豊秋津根別(アマツミソラトヨアキヅネワケ)という。
 そこでこの八つの島を先にお生みになったので大八島国という。

 その後、帰られるときに吉備の児島をお生みになった。またの名は建日方別(タケヒカタワケ)というつぎに小豆島をお生みになった。またの名は大野手比売(オオノデヒメ)という。
 つぎに大島をお生みになった。またの名は大多麻流別(オオタマルワケ)という。
 つぎに女島をお生みになった。またの名は天一根(アメノヒトツネ)という。つぎに知訶島をお生みになった。またの名は天之忍男(アメノオシヲ)という。
 つぎに両児島をお生みになった。またの名は天両屋(アメフタヤ)という。 

 イザナキとイザナミは国を生み終えて、さらに多くの神をお生みになった。
 そして生んだ神の名は大事忍男神(オオコトオシヲ)、つぎに石土毘古神(イハツチビコ)を生み、つぎに石巣比売(イハスヒメ)を生み、つぎに大戸日別神(オオトヒワケ)を生み、つぎに天之吹男神(アメノフキヲ)を生み、つぎに大屋毘古神(オオヤビコ)を生み、つぎに風木津別之忍男神(カザモツワケノオシヲ)を生み、つぎに海の神、名は大綿津見神(オオワタツミ)を生み、つぎに水戸の神、名は速秋津日子神(ハヤアキツヒコ)、つぎに女神の速秋津比売神(ハヤアキツヒメ)を生んだ。

 この速秋津日子神、速秋津比売神の二柱の神が、それぞれ河と海を分担して生んだ神の名は沫那芸神(アワナギ)、つぎに沫那美神(アワナミ)、つぎに頬那芸神(ツラナギ)、つぎに頬那美神(ツラナミ)、つぎに天之分水神(アメノミクマリ)、つぎに国之水分神(クニノミクマリ)、つぎに天之久比箸母智神(アメノクヒザモチ)、つぎに国之久比箸母智神(クニノクヒザモチ)である。

 つぎに風の神、名は志那都比古神(シナツヒコ)を生み、つぎに木の神、名は久久能智神(ククノチ)を生み、つぎに山の神、名は大山津美神(オオヤマツミ)を生み、つぎに野の神、名は鹿屋野比売神(カヤノヒメ)を生んだ。またの名は野椎神(ノズチ)という。
 このオオヤマツミ、ノズチの二柱の神が、それぞれ山と野を分担して生んだ神の名は、天之狭土神(アメノサズチ)、つぎに国之狭土神(クニノサズチ)、つぎに天之狭霧神(アメノサギリ)、つぎに国之狭霧神(クニノサギリ)、つぎに天之闇戸神(アメノクラト)、つぎに国之闇戸神(クニノクラト)、つぎに大戸或子神(オオトマトヒコ)、つぎに大戸或女神(オオトマトヒメ)である

 つぎに生んだ神の名は鳥之石楠船神(トリノイハクスフネ)、またの名は天鳥船という。つぎにオオゲツヒメを生んだ。
 つぎに火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤヲ)を生んだ。またの名は火之{かが}毘古神(ヒノカガビコ)といい、またの名は火之迦具土神(ヒノカグツチ)という。この子を生んだことで、イザナミは女陰が焼けて病の床に臥してしまった。

 このとき嘔吐から生まれた神の名は金山毘古神(カナヤマビコ)、つぎに金山毘売神(カナヤマビメ)である。
 つぎに糞から生まれた神の名は波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)、つぎに尿から生まれた神の名は弥都能売神(ミツハノメ)、つぎに和久産巣日神(ワクムスヒ)。この神の子は豊宇気毘売神(トヨウケビメ)という。
 そしてイザナミは火の神を生んだことが原因でついにお亡くなりになった。

 イザナキ、イザナミの二柱の神が共に生んだ島は全部で十四島、神は三十五柱である。

 そこでイザナキは「いとしいわが妻を、一人の子に代えようとは思わなかった」と仰せになって、すぐにイザナミの枕元に臥し、足下に臥して泣き悲しまれた。その涙から成り出た神は、香久山の丘の、木の本におられる泣沢女神(ナキサワメ)である。
 そして亡くなられたイザナミを出雲国と伯伎国の境にある比婆の山に葬り申し上げた。

 そしてイザナキは佩いていた十拳の剣を抜いて、ヒノカグツチの首をお斬りになった。
 するとその剣先に付いた血が飛び散ってそこから生まれた神の名は石拆神(イハサク)、つぎに根拆神(ネサク)、つぎに石筒之男神(イハツツノヲ)である。

 つぎに御剣の本に付いた血が飛び散ってそこから生まれた神の名は甕速日神(ミカハヤヒ)、つぎに樋速日神(ヒハヤヒ)、つぎに建御雷之男神(タケミカヅチノヲ)、またの名は建布都神(タケフツ)、またの名は豊布都神(トヨフツ)である。

 つぎに御剣の柄にたまった血が、指の間から漏れ出たなかから生まれた神の名は闇淤加美神(クラオカミ)、つぎに闇御津羽神(クラミツハ)である。
 以上の石拆神から闇御津羽神まであわせて八柱の神は御剣によって生まれた神である。

 また殺されたヒノカグツチの頭から生まれた神の名は正鹿山津美神(マサカヤマツミ)である。
 つぎに胸に生まれた神の名は淤{ど}山津美神(オドヤマツミ)である。つぎに腹に生まれた神の名は奥山津美神(オクヤマツミ)である。
 つぎに陰部に生まれた神の名は闇山津美神(クラヤマツミ)である。
 つぎに左の手に生まれた神の名は志芸山津美神(シギヤマツミ)である。
 つぎに右の手に生まれた神の名は羽山津美神(ハヤマツミ)である。
 つぎに左の足に生まれた神の名は原山津美神(ハラヤマツミ)である。
 つぎに右の足に生まれた神の名は戸山津美神(トヤマツミ)である。

 そしてイザナキがお斬りになった剣の名は天之尾羽張(アメノヲハバリ)といい、またの名は伊都之尾羽張(イツノヲハバリ)という。

三、イザナキの黄泉の国訪問

 そしてイザナキは妻のイザナミに会いたいとお思いになって黄泉の国に後を追って行かれた。
 そこでイザナミが御殿の閉まった戸から出迎えられたときに、イザナキは「いとしいわが妻よ、私とあなたで作った国はまだ作り終わっていません。だから帰るべきです」と仰せになった。

 イザナミはこれに答えて「残念なことです。早く来ていただきたかった。私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。されどもいとしいあなたが来てくださったことは恐れ多いことです。だから帰りたいと思いますので、しばらく黄泉の国の神と相談してきます。その間私をご覧にならないでください」と仰せになった。

 こういってイザナミは御殿の中に帰られたが、大変長いのでイザナキは待ちかねてしまった。
 そこで左の御角髪(ミミズラ)に挿していた神聖な櫛の太い歯を一つ折り取って、これに火を点して入って見ると、イザナミの身体には蛆がたかってゴロゴロと鳴き、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、女陰には{さく}雷、左の手には若雷、右の手には土雷、左の足には鳴雷がいて、右の足には伏雷がいた。
 併せて八つの雷が身体から出現していた。

 これを見てイザナキは怖くなり、逃げ帰ろうとしたとき、イザナミは「私に恥をかかせましたね」と言って、すぐに黄泉の国の醜女を遣わしてイザナキを追わせた。
 そこでイザナキは黒い鬘を取って投げ捨てると、すぐに山葡萄の実がなった。醜女がこれを拾って食べている間にイザナキは逃げていった。

 しかし、なお追いかけてきたので右の鬘に刺してあった櫛の歯を折り取って投げると、すぐに筍が生えた。醜女がこれを抜いて食べている間にイザナキは逃げていった。
 その後、イザナミは八つの雷に大勢の、黄泉の国の軍を付けてイザナキを追わせた。そこでイザナキは佩いていた十拳の剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げていった。

 しかし、なお追ってきたので黄泉の国との境の黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)のふもとに至ったとき、そこになっていた桃の実を三つ取り、待ち受けて投げつけると、すべて逃げ帰った。
 そこでイザナキは桃の実に「お前が私を助けたように、葦原中国のあらゆる人たちが苦しくなって、憂い悩んでいるときに助けてやって欲しい」と仰せられて、桃に意富加牟豆美命(オオカムヅミ)という名を賜った。

 最後にはイザナミ自らが追ってきた。
 そこで千人引きの大きな石をその黄泉比良坂に置いて、その石を間に挟んで向き合い、夫婦の離別を言い渡したとき、イザナミは「いとしいあなたがこのようなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を一日に千人絞め殺してしまいましょう」といわれた。
 そこでイザナキは「いとしいあなたがそうするなら、私は一日に千五百人の産屋を建てるでしょう」と仰せになった。こういうわけで、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が産まれるのである。

 そこでイザナミを名付けて黄泉津大神(ヨモツ)という。またその追いついたことで道敷大神(チシキ)ともいう。また黄泉の坂に置いた石を道返之大神(チガヘシ)と名付け、黄泉国の入り口に塞がっている大神とも言う。なおその黄泉比良坂は、いま出雲国の伊賦夜坂(イフヤサカ)である。

 このようなことでイザナキは「私はなんと醜く汚い国に行っていたことであろうか。だから、我が身の禊ぎをしよう」と仰せになり、筑紫の日向の、橘の小門の阿波岐原(アワキハラ)においでになって、禊ぎをされた。

 そこで投げ捨てた杖に生まれた神の名は衝立船戸神(ツキタツフナト)である。
 つぎに投げ捨てた帯に生まれた神の名は道之長乳歯神(ミチノナガチハ)である。
 つぎに投げ捨てた袋に生まれた神の名は時量師神(トキハカシ)である。
 つぎに投げ捨てた衣に生まれた神の名は和豆良比能宇斯能神(ワヅラヒノウシノ)である。
 つぎに投げ捨てた袴に生まれた神の名は道俣神(チマタ)である。
 つぎに投げ捨てた冠に生まれた神の名は飽咋之宇斯能神(アキグヒノウシノ)である。
 つぎに投げ捨てた左手の腕輪に生まれた神の名は奥疎遠神(オキザカル)、つぎに奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコ)、つぎに奥津甲斐弁羅神(オキツカヒベラ)である。
 つぎに投げ捨てた右手の腕輪に生まれた神の名は辺疎遠神(ヘザカル)、つぎに辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコ)、つぎに辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラ)である。
 以上の船戸神から辺津甲斐弁羅神まで十二柱の神は身に付けていた物を脱いだことによって生まれた神である。

 またイザナキは「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れがおそい」と仰せられ、そこで中流の瀬に沈んで身を清められた時に生まれた神の名は八十禍津日神(ヤソマガツヒ)、つぎに大禍津日神(オオマガツヒ)である。この二柱の神は汚らわしい黄泉の国に行ったときの汚れから生まれた神である。

 つぎにその禍を直そうとして生まれた神の名は神直毘神(カムナホビ)、つぎに大直毘神(オオナオビ)、つぎに伊豆能売(イヅノメ)である。
 つぎに水の底で禊ぎをしたときに生まれた神の名は底津綿津見神(ソコツワタツミ)、つぎに底筒之男命(ソコツツノヲ)である。
 水の中程で禊ぎをしたときに生まれた神の名は中津綿津見神(ナカツワタツミ)、つぎに中筒之男命(ナカツツノヲ)である。
 水の表面で禊ぎをしたときに生まれた神の名は上津綿津見神(ウハツワタツミ)、つぎに上筒之男命(ウハツツノヲ)である。 

 これら三柱の綿津見神(ワタツミ)は阿曇連(アズミノムラジ)らの祖先神として祀られている神である。そして阿曇連らはそのワタツミの子の、宇都志日金析命(ウツシヒカナサク)の子孫である。
 またソコツツノヲ、ナカツツノヲ、ウハツツノヲの三柱の神は住吉神社に祀られている大神である。

四、三貴子の誕生

 ここで左の目をお洗いになったとき生まれ出た神の名は天照大御神(アマテラスオオミカミ、以下アマテラス)である。
 つぎに右の目をお洗いになったとき生まれ出た神の名は月読命(ツクヨミ)である。
 つぎに鼻をお洗いになったとき生まれ出た神の名は建速須佐之男(タケハヤスサノオ、以下スサノオ)である。

 このときイザナキはたいそうお喜びになられ「私は多くの子を生んで、最後に三柱の貴い子を得ることができた」と仰せになった。
 ただちにその御首の、首飾りの玉の緒をゆらゆらと鳴らしながらアマテラスに賜った。そして「あなたは高天原を治めなさい」と仰せになった。そこでその首飾りの玉を御倉板挙之神(ミクラタナノ)という。
 つぎにツクヨミに「あなたは夜の国を治めなさい」と仰せになった。
 つぎにスサノオに「あなたは海原を治めなさい」と仰せになった。

 こうしてそれぞれの神はイザナキの命令にしたがってお治めになったが、スサノオだけは海原を治めずに、顎鬚が胸元に達するようになるまで泣きわめいてばかりいた。
 その泣く有様は青々とした山は枯れ木の山となり、川や海はことごとく泣き干してしまうほどだった。そのため悪い神々の騒ぐ声が満ちあふれ、あらゆる禍が起きるようになってしまった。

 そこでイザナキがスサノオに「なぜ泣きわめいてばかりいて海原を治めないのか」とたずねたところ、スサノオは「わたしは亡き母のいる根の堅州国に行きたいと思い、泣いているのです」と答えた。イザナキはひどく怒り「そうならばお前はこの国に住むべきではない」と仰せになり、スサノオを追放してしまった。
 さて、そのイザナキの神は近江の多賀に鎮座しておられる。

 そこでスサノオは「アマテラスに事情を申し上げてから行くことにしよう」と仰せになった。
 スサノオが高天原に上るとき、山川が皆動き、国中が揺れた。
 その音を聞いてアマテラスは驚き、「わが弟が上ってきたのは、善き心からではないだろう。私の国を奪おうと思ってのことだろう」と仰せになった。

 すぐに御髪を解いて角髪に束ね、左右の御角髪にも髪飾りにも、左右の御手にも、たくさんの勾玉を貫き通した長い玉の緒を巻き付け、背には千本も矢の入る靫を背負い、横には五百本も矢の入る靫を付け、また肘には威勢のよい高鳴りのする鞆をお付けになり、弓を振り立てて、固い地面を股まで没するまで踏み込み、沫雪のように土を蹴散らかして、雄々しく勇ましい態度で待ち受け、スサノオに「おまえはなぜやってきたのか」とたずねた。

 スサノオは「私に邪心はありません。ただなぜ泣きわめくのかたずねられたので『私は母の居る国に行きたくて泣いているのです』と答えたところ『そうならばお前はこの国に住んではならない』と仰せになって、わたしは追放されたのです。そこでその訳を申し上げようと参上したのです。謀反の心はありません」と答えた。
 そこでアマテラスは「それなら、おまえの心が清く明るいことはどうして知ればよいのですか」と仰せになった。
 そこで、スサノオは「それぞれ誓約(ウケヒ)をして、子を生みましょう」と答えた。

五、天の安の河の誓約

 こうして天の安河をはさんで誓約をした。まずアマテラスがスサノオの持つ十握の剣をもらい受け、三つに折って、天の真名井で振り清め、よくかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、多紀理毘売命(タキリビメ)、またの名は奥津嶋比売命(オキツシマヒメ)という。次に市寸嶋比売命(イチキシマヒメ)、またの名は狭依毘売命(サヨリビメ)という。次に多岐都比売命(タキツヒメ)。

 スサノオがアマテラスに、左の角髪に巻いてあった多くの勾玉を結んだ玉をもらい受け、天の真名井で振り清め、かみにかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ、以下アメノオシホミミ)である。
 右の角髪に巻いてあった玉をもらい受け、かみにかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、天之菩比命(アメノホヒ)である。
 また髪飾りに巻いてあった玉をもらい受け、かみにかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、天津日子根命(アマツヒコネ)である。
 また左の手に巻いてあった玉をもらい受け、かみにかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、活津日子根命(イクツヒコネ)である。
 また右の手に巻いてあった玉をもらい受け、かみにかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、熊野久須毘命(クマノクスビ)である。
 あわせて五柱の神である。

 そこでアマテラスはスサノオに「この後で生まれた五柱の男の子は、わたしの持っていた玉によって生まれた。したがって私の子です。先に生まれた三柱の女の子は、おまえの持っていた剣によって生まれた。したがっておまえの子です」と仰せになりお裁きになった。

そして、先に生まれた神、タキリビメは宗像神社の沖つ宮に鎮座している。
 つぎにイチキシマヒメは宗像神社の中つ宮に鎮座している。
 つぎにタキツヒメは宗像神社の辺つ宮に鎮座している。
 この3柱の神は宗像君等が祀っている3柱の大神である。

 そして、後に生まれた5柱の子の中で、アメノホヒの子の建比良鳥命は出雲国造、武蔵国造、上{つう}上国造、下{つう}上国造、伊自牟国造、対馬県直、遠江国造等の祖である。
 つぎに、アマツヒコネは凡川内国造、額田部湯坐連、茨木国造、大和田中直、山城国造、馬来田国造、道尻岐閇国造、周芳国造、大和淹知国造、高市県主、蒲生稲寸、三枝部造等の祖である。

 そこでスサノオはアマテラスに「私の心は清く、明るいので私の生んだ子はたおやかな女の子だったのです。このことから申せば当然、私が勝ったのです」といって、勝ちに乗じて、アマテラスの作る田の畦を壊し、その溝を埋め、大嘗を行う御殿に糞をまき散らした。

 しかし、アマテラスはそれを咎めずに「糞のようなものは、わが弟が酔って吐いたへどでしょう。田の畦を壊し、その溝を埋めたのは田を作り直そうとわが弟がしたのでしょう」と仰せになり、善いほうに言い直そうとしたが、その乱暴な行いはやまず、ひどくなるばかりだった。

六、天の岩屋戸

 アマテラスが機屋にいらっしゃって、神の御衣を機織女に織らせていたとき、スサノオは機屋の屋根に穴をあけ、斑になった馬の皮をはぎ、落とし入れた。これを見て機織女は驚き、杼で女陰を突いて死んでしまった。
 これを見てアマテラスは恐れ、天の岩屋の戸を開いて中に入り、籠もってしまわれた。そのため、高天原は暗くなり、葦原中国もすべて暗くなってしまった。そして闇夜が続いた。いろいろな邪神の騒ぐ声が満ち、あらゆる禍が起こった。

 そこで、多くの神々が天の安の河原に集まり、タカミムスヒの子の思金神(オモヒカネ、智恵の神)に次のような思案をさせた。
 まず、常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、天の安河の川上で堅い石と鉱山の鉄をとって、それを鍛冶の天津麻羅(アマツマラ)を捜してきて精錬させ、伊斯許理度売命(イシコリドメ)に鏡を作らせた。
 また玉祖命(タマノオヤ)に命じて多くの勾玉を通した八尺の玉飾りを作らせた。

 そして、天児屋命(アメノコヤネ)と布刀玉命(フトダマ)を呼んで、天の香山の雄鹿の肩骨を丸ごと抜き取り、同じく天の香山の、桜の木を取ってきて、鹿の肩骨を焼いて占った。
 さらに天の香山の多くの賢木を、根ごと掘り起こし、上の枝に多くの勾玉を通した八尺の玉飾りを取り付け、中の枝に八尺の鏡を取り付け、下の枝に白い布帛、青い布帛を垂らし、この様々な物をフトダマが御幣として捧げ持ち、アメノコヤネが祝詞をあげた。

 そして、天手力男神(アメノタヂカラヲ)が天の岩屋戸の横に隠れて立ち、天宇受売命(アメノウズメ)が、天の香山のヒカゲノカズラをたすきにかけ、マサキノカズラを鬘として頭にかぶり、天の香山の笹の葉を手に持って、天の岩屋戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神懸かりして、乳房をあらわに出し、裳の紐を陰部まで垂れ下げた。
 すると高天原が揺れ動くほど、多くの神々がどっと歓声をあげた。

 そこでアマテラスは不思議にお思いになり、天の岩屋戸を少し開いて中から「私が隠れたので、高天原が自然と暗くなり、葦原中国も皆暗くなったと思っているのに、なぜアメノウズメは歌い踊り、多くの神々が歓声をあげているのか」と仰せになった。
 そこでアメノウズメは「あなた以上に尊い神がいらっしゃいますので、皆歓声をあげ歌い踊っているのです」と申し上げた。

 こう申しあげる間にアメノコヤネ、フトダマが鏡を差し出し、アマテラスにお見せ申し上げると、ますます不思議に思われ、ちょっと戸より出て鏡を覗かれたときに、隠れていたアメノタヂカラヲがアマテラスの手を取って引き出した。すぐにフトダマが注連縄をその裏に引き渡し、「この注連縄より中にはお戻りになれません」と申し上げた。
 こうしてアマテラスがお出ましになると、高天原も葦原中国も自然と明るくなった。
 そこで多くの神々は相談して、スサノオに罪滅ぼしの品々を出させ、髭と手足の爪を切って祓いとし、高天原より追い払った。

 追放になったスサノオは食べ物を大気都比売(オオゲツヒメ)に求めた。
 そこでオオゲツヒメは鼻や口、また尻からさまざまなおいしい物を取り出し、色々調理して奉ったが、これを隠れて見ていたスサノオは汚れた食べ物を差し出したと思い、すぐにオオゲツヒメを殺してしまった。

 そこで殺されたオオゲツヒメの身体から、頭からは蚕が生まれ、二つの目から稲の種が生まれ、二つの耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、女陰から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。
 そこでカムムスヒ御祖命はこれらを取って種とした。

七、八俣の大蛇

 こうして追放されたスサノオは出雲の国の、斐伊川の上流にある鳥髪というところに降りた。
 そのとき、川の上流から箸が流れてきた。
 そこでスサノオは川上に人がいると思い、それをたずねて、上っていくと、老人と老女が二人、少女を間に泣いていた。そこで「おまえたちは誰だ」とおたずねになった。

 すると老人が「私は国つ神の、大山津見(オオヤマツミ)の神の子です。私の名は足名椎(アシナヅチ)といい、妻の名は手名椎(テナヅチ)といい、娘の名は櫛名田比売(クシナダヒメ)といいます」と答えた。
 また、「おまえはなぜ泣いているのか」と問えば、「私の娘は、もとは八人おりましたが、高志のヤマタノオロチが毎年やってきて食べてしまいました。今がやって来る時期なので、泣いているのです」と答えた。

         
             
スサノオ

 そこでスサノオが「それはどのような姿をしているのか」とたずねると、老人は「目はほおずきのように真っ赤で、胴体は一つで八つの頭と八つの尾を持ち、背中は苔むし、檜や杉の木が生えていて、その長さは八つの谷、八つの峰にわたり、その腹はいつも血が滲んでいる」と答えた。

 そこでスサノオは「このおまえの娘をわたしにくれないか」と仰せになると、老人が「恐れ多いことですが、まだ名前を伺っておりません」と答えた。スサノオが「私はアマテラスの弟である。そして今、天より降りてきたのだ」とお答えになると、アシナヅチとテナヅチは「それは恐れ多いことです。娘をさしあげましょう」と申し上げた。

 そこで、スサノオはすぐに、その少女を神聖な櫛に変身させ、御角髪にさし、アシナヅチとテナヅチに「おまえたちは何回も醸造した強い酒を造り、垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに桟敷を作り、桟敷ごとに酒を入れる樽を置き、樽ごとに何回も醸造した強い酒を一杯にして待っておれ」と命じた。

 そこで命じられたままに、準備して待っていると、ヤマタノオロチが老人の言うとおりやって来た。すぐにヤマタノオロチは樽ごとに自分の頭を入れ、その酒を飲んだ。そして酔っぱらって、そのまま横になって寝てしまった。
 そこで、スサノオは十握の剣を抜き、ズタズタに切ると斐伊川の水は血となって流れた。そして中の尾を切ったとき、十握の剣の刃が欠けた。スサノオは不審に思われ、剣先で尾を切り裂いてみると立派な太刀があった。

 そこでスサノオはその太刀を取り、不思議なことだと思い、アマテラスに献上した。これが草薙の太刀である。
 こうして、スサノオは宮殿を造る場所を出雲の国に探した。そして須賀の地に来て「私はここに来て、気持ちがすがすがしい」と言った。そして、そこに宮殿を造った。それで今,そこを須賀という。
 スサノオが初めて須賀の宮を作ったとき、そこから雲が立ちのぼった。そこで歌をお作りになった。その歌は、

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
(多くの雲が立ちのぼっている その雲の幾重にもなった垣根が 妻を籠もらせるように 幾重もの垣根を作っている その素晴らしい垣根よ)

 ここで、スサノオはアシナヅチを呼んで「おまえを私の宮殿の長に任じよう」と仰せになり、名を与えて稲田宮主須賀之八耳神(イナダミヤヌシスガノヤツミミ)と名付けた。

 そこでクシナダヒメと夫婦の交わりをして生んだ神の名は八島士奴美神(ヤシマジヌミ)という。
 またオオヤマツの娘の神大市比売(カムオオイチヒメ)を娶って生んだ子は大年神(オオトシ)、つぎに宇迦之御魂神(ウカノミタマ)である。
 ヤシマジヌミがオオヤマツの娘の木花知流比売(コノハナチルヒメ)を娶って生んだ子は布波能母遅久奴須奴神(フハノモヂクヌスヌ)である。
 このフハノモヂクヌスヌが淤迦美神(オカミ)の娘の日河比売(ヒカワヒメ)を娶って生んだ子は深淵之水夜礼花神(フカフチノミズヤレハナ)である。
 このフカフチノミズヤレハナが天之都度閇知泥神(アメノツドヘチヌ)を娶って生んだ子は淤美豆奴神(オミズヌ)である。
 このオミズヌが布怒豆怒神(フノヅノ)の娘の布帝耳神(フテミミ)を娶って生んだ子は天之冬衣神(アメノフユキヌ)である。
 このアメノフユキヌが刺国大神(サシクニ)の娘の刺国若比売(サシクニワカ)を娶って生んだ子は大国主神である。

 大国主神はまたの名を大穴牟遅神(オオナムヂ)といい、またの名は葦原色許男神(アシハラシコヲ)といい、またの名は八千矛神(ヤチホコ)といい、またの名は宇都志国玉神(ウツシクニタマ)といい、併せて五つの名があった。


 スサノオの正体は何者か

 スサノオは高天原においてはアマテラスに対する態度に見られるような傍若無人な人物として、出雲に降りると性格が一変し、今度は弱きを助ける英雄、そして根の堅州国では娘の婿のオホナムチをいじめる得体の知れぬ親父として描かれ、その性格は場面ごとに異なり一様ではない。

 しかし、スサノオが泣けば山は枯れ木の山となり、川や海は泣干し上がり、天に上るときには山川が皆動き、国中が揺れた。地上に降りてからは山や谷よりも大きなヤマタノオロチを倒し、オホナムチがスサノオの頭のシラミを取ろうとしたらそれはシラミではなくムカデであったというのだからスサノオはもうこれ以上大きく描きようがないほどの大人物として描かれている。

 『古事記』の著述者の天武天皇にしてみればスサノオはたいへんな存在感をもった大人物であったことがわかる。大国主神の話に登場する人物が実在の人物をモデルとしていることから考えて全く空想の人物ではないだろう。ましてや大和から遠く離れた出雲の地方神ということもありえない。

 その正体は飛鳥時代の天武天皇以前の人物を象徴したものと考えてよいだろう。
 スサノオが天に上るとき、山川が皆動き、国中が揺れたとあるところからその力は国中に及び、国を支配していたような人物であったこともわかる。

 はたしてこのようなスサノオの正体は何者であろうか。
 実はこの謎を解き明かす鍵が出雲大社にある。 
 出雲大社の本殿の真後ろにはスサノオを祀る素鵞社と呼ばれる社がある。素鵞社の「素鵞」、これがその鍵である。

      
                        素鵞社

 また出雲大社の本殿の西側を北から南に流れる川があるがこの川の名は素鵞川という。出雲の簸川の上流、島根県簸川郡佐田町には須佐神社というスサノオを祀る神社があるがその横を流れる川もこれまた素鵞川と呼ばれている。
 出雲大社の素鵞川、その反対側の東側にも川が流れていてその名を吉野川というが、奈良県の明日香村の南の吉野町を東西に流れる川も吉野川である。

 その明日香村の西側にも出雲大社の西側を流れる素鵞川と同じような名前の川が流れている。ただしこの川は素鵞川とは書かずに曽我川と書く。曽我川は奈良県御所市重阪の内谷を源流に北に流れ、高取町、橿原市を貫き、北葛城郡河合町川合の広瀬神社の北で大和川に合流している。そしてこの曽我川と吉野町を東西に流れる吉野川の間にある地域が飛鳥なのである。

 このことから出雲大社は社殿全体が飛鳥に擬されていることが推定されるのだが、この明日香村の西を流れる曽我川の近くの樫原市小綱町にもスサノオを祀る神社がある。「小綱の大日堂」として地元の人々に親しまれている普賢寺の境内にある入鹿神社だ。その名前の通り蘇我入鹿を祀る神社である。

 蘇我入鹿は、「林太郎」・「林臣」ともよばれていたがこれは入鹿が蘇我一族の林臣のもとで育てられたためではないかとされている。入鹿神社は、この頃の入鹿の邸宅の跡と伝えられているのだが、この神社には蘇我入鹿と共にスサノオが仲良く並んで祀られている。

 この小綱町の西隣が蘇我氏の発祥の地といわれる曽我町である。蘇我氏の名はこの曽我町の「曽我」に由来するものといわれていて、この町には蘇我馬子が始祖の宗我都比古(そがつひこ)・宗我都比売(そがつひめ)を祀るために建てたという宗我坐宗我都比古神社がある。
 これらのことからスサノオを祀る素鵞社、素鵞川の「素鵞」は「曽我」に通じ、さらに「蘇我」に通じていることがわかる。

 また素鵞社の「素鵞」の字に注目していただきたい。『日本書紀』ではスサノヲを 「素戔嗚」と表記し、「素戔烏」と表記することもあるが、素鵞社の「素鵞」とスサノオの「素戔烏」が字の形がよく似ていないだろうか。
 「素戔嗚」の名は「蘇我」を「素鵞」と書き、これを次の順序で変化させることで創り出されたものと考えられないだろうか。

 蘇我 → 素鵞 → 素我烏 → 素戔嗚

 以上のことからスサノオは「蘇我」に通じていて蘇我氏の誰かを象徴したものと考えてよいだろう。


 ヤマタノオロチの正体は誰か

 一方、スサノオに退治されたヤマタノオロチの正体は何者であろうか。いくかなんでもヤマタノオロチのような怪物があのような姿で実在していたとはとても思えない。かといってヤマタノオロチは簸川の氾濫を象徴したものだとか製鉄に関係があるというような通説も子供だましにすぎない。
 スサノオ同様実在した誰かを象徴したものと考えてよいだろう。

 ありがたいことに『日本書紀』の編纂者はここに『暗号』を用意してくれている。
 スサノオがヤマタノオロチを倒した後、切った尾の中から草薙の剣がでてくるが、この剣について『日本書紀』にこのような記載がある。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もとの名は天叢雲剣という。大蛇のいる上に、常に雲があった。それ故にこのように名付けられたが、日本武尊の時に、名を草薙剣と改めたという。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 草薙剣は以前、天叢雲剣と呼ばれていたというのがそれである。大蛇のいる上に、常に雲があったのでそう名付けられたというのは『日本書紀』によくあるこじつけだろう。「天叢雲」の名はここ以外には『古事記』、『日本書紀』に登場しないが、この名が登場する文献がある。

 それは『先代旧事本紀』である。
 『先代旧事本紀』は平安時代の初めに物部氏の関係者によって書かれたとされる歴史書で、序文の本書成立に関する記述に疑いがあることから偽書とされたこともあるが『古事記』、『日本書紀』にない記事も多く古代史研究ではなくてはならない文献のひとつとされている。

 その『先代旧事本紀』の中の天孫本紀にこのような記述がある。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊、天道日女命を妃として、天上に天香語山命が誕生した。
・ ・・・・(中略)・・・・・・
 天香語山命、異妹穂屋姫命を妻として一人の男子を生んだ。天村雲命という。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 また京都府北部の丹後半島の付け根には日本三景の一つとして知られる天の橋立があり、その近くに「元伊勢」として知られる籠神社がある。

      
                  籠神社  京都府宮津市

 伊勢神宮の外宮が元々この地にあったといわれていることからそのように呼ばれているのだが、この神社に日本最古の系図といわれる宮司の海部氏の系図(国宝)が伝わっている。その系図によれば、「始祖彦火明命の御子の天香語山命が穂屋姫命を娶り、天村雲命を生む」とある。

 「天村雲」と「天叢雲」はどちらも「あめのむらくも」と読む。海部氏の始祖の彦火明命は『先代旧事本紀』の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊のことで、物部氏の始祖としてよく知られていて、ともにその三代目に「天村雲」の名が登場している。
 おそらく天叢雲剣はこの天村雲命に由来する、物部氏に代々伝わっていた神剣だったのではないだろうか。したがってこの天叢雲剣を尾の中に隠し持っていたヤマタノオロチは物部氏の誰かを象徴したものではないだろうか。

 すなわちスサノオがヤマタノオロチを退治した話は蘇我氏の誰かが物部氏の誰かと戦い、これを打ち倒したことを象徴する神話だと考えられるのである。
 物部氏の誰かを打ち倒した蘇我氏の誰かとなると誰もがすぐに思いつくのは、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が戦った丁未の役のことだろう。

 すなわちスサノオの正体は蘇我馬子で、ヤマタノオロチの正体は物部守屋なのではないだろうか。

 スサノオがヤマタノオロチを退治した神話は蘇我馬子が物部守屋と戦い勝利したことを神話として書いたものなのだろう。
 神話の中で、崇仏派の蘇我馬子が神道の最高神の一人スサノオで、物部守屋は怪物のヤマタノオロチにされているわけでこれでは日本古来の宗教を守ったとされる排仏派の物部守屋も真っ青だ。

 蘇我馬子は欽明天皇の大臣をつとめた蘇我稲目の長男として生まれ、敏達、用明、崇峻、推古の四代の天皇に大臣として仕え、また仏教を擁護し、広めた功労者としても知られている。スサノオが牛頭天王などの仏教の守護神として習合されていたのはその正体が蘇我馬子だったからと考えればよく理解できる。
 その蘇我馬子の発願により建てられた飛鳥寺(法興寺、元興寺ともいう)は我が国で最初の本格的な寺院として知らない人はいないだろう。

 用明天皇二年(五八七)排仏派の物部守屋と用明天皇崩御後の皇位継承を廻って対立、物部守屋と戦って勝利を収め、蘇我氏の全盛時代を築いた飛鳥時代を代表する人物である。
 崇峻天皇を自分の意に添わぬからといって、弑逆(臣下が天皇を殺害すること。蘇我馬子が崇峻天皇を殺害したのが日本史上唯一の例とされている)するなどその傍若無人さは推古天皇を悩ませたとも言われていて、蘇我蝦夷は馬子の子、蘇我入鹿は孫であることは言うまでもない。

 草薙の剣(天叢雲剣)は物部氏に代々伝わっていた神剣を物部守屋との戦いの後、戦利品として蘇我馬子が手に入れたものだったのだろう。
 歴代天皇が継承する三種の神器の一つとして知られる草薙の剣は蘇我馬子と物部守屋の戦いに由来する神剣なのである。

 朱鳥元年(六八六)六月十日天武天皇が病気になりその病を占うと、草薙の剣の祟りとでたので、すぐに尾張国の熱田神宮に送って安置したとの記述が『日本書紀』にあるが、このことからも草薙の剣が物部氏に由来する剣だとわかる。

 熱田神宮の大宮司家は平安時代までは尾張氏が務めていたが、尾張氏は籠神社の海部氏同様彦火明命の孫の天村雲命の後裔とされる物部氏の一族である。
 天武天皇の病気が草薙の剣の祟りということで剣を元に返すことになったのだろうが、物部宗本家は既に守屋で滅びているので物部一族の尾張氏に預けることになったのだろう。

 スサノオが蘇我馬子のこととなるとその后となったクシナダヒメは蘇我馬子の正妻で物部守屋の妹といわれる人物のことと考えられる。その名は「太媛」と記録には残され、蘇我蝦夷の母とされている。
 この女性に関して『日本書紀』にはこのような記述がある。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 時の人は語り合っていった。「蘇我大臣の妻は物部守屋の妹である。大臣はみだりに妻の計略を用い、大連を殺した」と。
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 大連とは物部守屋のことである。人々は、物部守屋はその妹と蘇我馬子の計略にはまり、その結果、蘇我馬子に討たれたといっているのである。ヤマタノオロチにクシナダヒメたちが用意した酒を飲ませ、酔いつぶれたところをスサノオが討つというヤマタノオロチを退治する神話もそのような話の展開となっている。

 この蘇我馬子の妻がいったいどのような人物であったのか、窺い知るものはほとんどないがおそらくかなりの実力者だったのだろう。『日本書紀』には蘇我蝦夷はこの母方の財力によって世に勢威を張ったことが記されている。
 

 天照大神のモデルは推古天皇

 スサノオの正体を蘇我馬子と考えると天皇の皇祖神とされるアマテラスは誰のことであろうか。
 アマテラスも大国主神やスサノオ同様、誰かがモデルになっていると見てよいだろう。
 『日本書紀』ではアマテラスは大日霎貴とも書かれていて、この名からアマテラスのモデルは巫女的な女性だったのではないかとも言われている。

 蘇我馬子と同時代の人物でアマテラスのモデルになりうるような女性というと、アマテラスがスサノオにとって姉という目上の人物として描かれていることからも、これは当然推古天皇しか該当する人物は考えられない。
 アマテラスといえば伊勢神宮の主祭神として有名であるが、伊勢神宮の起源は推古朝をより古いと考えられるので、推古天皇がアマテラスとして祀られているわけではない。

 おそらく神話が書かれたときには推古天皇をモデルとして大日霎貴だったものが、その後の政治的事情でアマテラスに差し替えられたのだろう。
 神話に登場するアマテラスと伊勢神宮に祀られている天照大御神は本来、全く無関係と思われる。

 推古天皇は正式に即位した最初の女帝としてよく知られている。父は第二十九代欽明天皇で十八歳の時、第三十代敏達天皇の皇后となり、その後第三十三代の天皇に即位(五九二年)した。
 皇太子で摂政の厩戸皇子(聖徳太子)や大臣の蘇我馬子とともに冠位十二階(六〇三年)・憲法十七条(六〇四年)を次々に制定して、国家の法令・組織の整備を進めるとともに仏教興隆に熱心だったといわれている。

 推古天皇の母は蘇我稲目の娘の蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ)だから稲目の息子の馬子からすると姪と言うことになるが、馬子は推古天皇の臣下の大臣という立場だから推古天皇は馬子にとっては目上ということになる。
 目上の人物を妹や姪とするわけにはいかない。そこでアマテラスは姉、スサノオは弟として書かれることになったのだろう。

 アマテラスの登場する場面はいくつかあるが特に天の岩戸の神話が良く知られている。この神話は大変おおらかで華やかな神話なので人気があり、神楽などの演目としても良く演じられている。
 では天の岩戸の神話は何を元にして書かれた話だろうか。

 『日本書紀』には推古天皇即位時の事情としてこのような記載がある。
 推古天皇紀の即位前紀に

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
十八歳の時、敏達天皇の皇后となられた。三十四歳の時、敏達天皇が崩御された。三十九歳の時、崇峻天皇五年十一月、崇峻天皇は大臣馬子宿禰のために弑せられ、皇位は空いた。群臣たちは敏達天皇の皇后である額田部皇女(後の推古天皇)に皇位を継がれるよう請うたが、皇后はお受けにならなかった。百官が上奏文を奉ってなおもお勧めしたので、三度目にいたって、ようやく従われた。
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 馬子以下群臣達は崇峻天皇の後継者として額田部皇女に白羽の矢を立て、即位を要請したが何度も断られ、三度目にしてやっと受諾させたというのである。
 異母弟の崇峻天皇が蘇我馬子に殺された後、その後釜に指名され、ましてや前例のない女性の天皇とあっては即位したところで馬子の傀儡にされてしまうのは目に見えている。誰だってこのような状況下で即位したくはないだろう。

 おそらく彼女は自宅に引きこもって即位を固辞し続けたはずだ。最後には即位を引き受けたとはいえ再三断り続けたのも当然だったろう。
 このときの事情が天の岩戸の神話に反映されているのではないだろうか。

 なおこの天の岩戸の神話は日食を連想させるところがあり、そのことから天文学を駆使、三世紀中頃の卑弥呼の時代に日食があったことを根拠にアマテラスは卑弥呼の事であるとする説が唱えられ、この説は結構広く支持されているがアマテラスのモデルは推古天皇と考えられるのでこの説は間違いである。
 邪馬台国に関する多くの著書の中で神話は必ずといってよいほどよく取り上げられるが、『記・紀』の神話には邪馬台国の卑弥呼に関する伝承は一切含まれてはいない。

 これまでの説明から『記・紀』の神話はどうやら推古天皇の代から天武天皇の頃までの人間関係と出来事を基にして書かれているらしいということがおわかりいただけたはずである。

 出雲神話の最後に有名な国譲りの神話が登場するが、この神話は出雲の勢力が大和朝廷に征服されたという歴史上の出来事を反映しているのではないかということで古代史の研究者にもよく取り上げられる神話である。
 しかしこの神話は大国主神の国作り以降の話となっている。ということは天武天皇以降の話ということになるのでこの話には何ら歴史的事実は含まれていないとみてよい。単に出雲の神話を天皇家の祖先神話と統合するために創作された話であろう。

 そのためだろうか、話自体はスケールの大きな話となってはいるが、荒唐無稽さばかりが目立ち、他の神話のように目立った主人公がいないため話が散漫であまり面白い神話とはなっていない。


 謎の神話『誓約』

 天の岩戸の神話の前に、スサノオとアマテラスの間にちょっと不思議な神話が語られている。天の安河でのウケヒの神話である。ウケヒは『古事記』では「宇気比」、『日本書紀』では「誓約」と表記されている。

 泣きやまないため追放されることになったスサノオが、追放される前に姉のアマテラスに挨拶するために高天原に昇るのだが、アマテラスはスサノオが自分の国を奪おうとしているのではないかと疑い、武装して待ち受ける。
 そこではスサノオはそのようなことはないというのだが、アマテラスは信じない。そこでスサノオの心が清いことを証明するために行われるのがウケヒである。占いの一種と考えればわかりやすい。

 アマテラスとスサノオはウケヒを行い、アマテラスはスサノオの持っていた十握の剣を使って吹き出した霧の中から三柱の女神を生み、スサノオはアマテラスの持っていた玉を使って吹き出した霧の中から五柱の男神を生む。
 ところがその後、アマテラスはスサノオが吹き出した五柱の男神は、アマテラスの持っていた玉を使って生んだのだから自分の子だといい、三柱の女神はスサノオの持っていた十握の剣を使って生んだのだからスサノオの子だと言い出したのだ。

 これを図で表すと次のようになる。

       
                  誓約の神話

 まるでスサノオが生んだ子がアマテラスの養子になり、アマテラスが生んだ子がスサノオの養子になったような話である。
 天皇の先祖を遡っていくと五柱の男神の一人、オシホミミに辿り着くのでこれではアマテラスとオシホミミは直接には血の繋がりのない養子の関係に見えてしまう。

 この部分は皇統譜が高天原のアマテラスに繋がっていく大変重要な部分なのでこの部分がこのようなあいまいな形で描かれるのは腑に落ちない。オシホミミから推古天皇までの皇統譜はどのような形であろうとしっかりと血が繋がった関係で書かれているのだからなおさら不可解な話である。

 このウケヒの神話は古来よりもっとも謎の多い部分とされていて、神話学者達もこの解釈についてはほとんど匙を投げているようだ。
 いろいろな文献を調べてみたがこの神話について納得のいく解釈をした文献はついに見あたらなかった。アマテラスやスサノオについては想像逞しく様々な説を展開する歴史作家達もこのウケヒの神話はお手上げらしく巧妙に避けている。

 一体この神話には何が隠されているのであろうか。
 またこの話は『古事記』の中でも特に荘重に語られる部分でそれだけ天皇家にとっては神聖な神話であることがうかがえる。
 特にスサノオがアマテラスの持っていた玉を使って五柱の男神を生む場面はこのような構成になっている。

 ****に巻いてあった玉をもらい受け、よくかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、*****。
 ****に巻いてあった玉をもらい受け、よくかんで吹き出した息吹の霧から現れた神の名は、*****。
 * ***・・・以下同様
 * ***・・・以下同様
 * ***・・・以下同様

 もらい受けた玉をかみつぶし、吹き出した息の中から神が誕生するというなんとも神秘的な話が繰り返し五回、一切省略することなく実に丁寧に語られている。
 アマテラスがスサノオの十握の剣を使って三人の女神を生む場面はこのような丁寧な記述はされていないので、ここには深い意味が潜んでいると考えてよいだろう。

 実はこの神話は『古事記』の中でも天皇家の起源にまつわる重大な意味を持った神話なのである。この神話の謎は後に解いてみたい。