●南山科巡り


○高麗寺跡

 高麗寺は、7世紀初頭(飛鳥時代)に創建された国内最古の寺院のひとつで、高句麗からの渡来氏族狛(高麗)氏の氏寺と考えられている。

 高麗寺は、木津川を見下ろす台地上に南面して立地、寺域は一辺が約200メートルの規模を持ち、西に金堂、東に塔を持つ法隆寺とは左右が逆のいわゆる法起寺式の伽藍配置である。

 昭和13年以降数度にわたって発掘調査が行われているが、平成17年の発掘調査で、塔の相輪上部に取り付けられた水煙と呼ばれる飾り金具を芯柱に取り付ける円筒形の金具、擦管(さっかん)が発見されている。

  
 遺跡の周りは建物は少なく、田畑が広がるのどかな田園風景である。

  
 遺跡の入り口には「史蹟 高麗寺跡」の石柱と案内板が立っている。高麗寺跡は昭和15年に国の史跡に指定された。

  
 この石碑は誰が置いたものであろうか。

  
 遺跡は埋め戻されこの塔芯礎と建物の礎石がわずかに露出しているだけである。塔の基壇は一辺12.7mの正方形である。


○恭仁京跡(山城国分寺跡)

 聖武天皇は何度か遷都を行ったがこの恭仁京はその一つ。、天平12年(740年)平城京から遷都された。大極殿も平城京から移築されかなり整備されたが、完成しないまま天平15年(743年)の末には京の造営は中止されて、聖武天皇は紫香楽宮に移り、さらに天平16年(744年)難波宮に遷都、さらに天平17年(745年)に、都は平城京に戻された。

 宮は南北750メートル、東西560メートルの長方形。遷都後、恭仁京の跡地は山城国分寺として再び利用され、大極殿は金堂にされたという。恭仁国分寺は南北約330m、東西約275mの広大な寺域を有していたが、現在は金堂(大極殿)礎石と七重塔礎石が地表に残されているのみである。

 昭和32年に「山城国分寺跡」として、国の史跡に指定されたが、平成19年に史跡の指定範囲が拡大され、名称も「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」に変更された。

  
 山城国分寺跡は現在はこのような広大な平原となっている。右に七重塔跡が見える。金堂跡は左の森の奥にある。

  
 七重塔跡全景

  
 七重塔跡に現存する塔の礎石。この巨大な礎石から七重塔が大きな塔であったことがわかる。

  


  
 金堂跡

  
 金堂跡に残る礎石

  
 礎石の一つ

  
 金堂跡全景

  
 金堂跡の隣には恭仁小学校が建っている。今では珍しくなった木造の建物である。ここには写っていないが体育館も含め建物はすべて木造である。


○浄瑠璃寺

 
浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津市加茂町にある真言律宗の寺院である。山号は小田原山。本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は当寺に伝来する「浄瑠璃寺流記事」によると義明上人とされ当初の本尊は薬師如来。

 本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)とも呼ばれる。境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔(共に国宝)が現存し、平安朝寺院の雰囲気を今に伝えている。本堂は九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重なものである。数多くの国宝、重要文化財を擁している。

  
 平安時代数多くの九体阿弥陀堂が建てられたが現存するのは嘉承2年(1107年)に建立された浄瑠璃寺のこの本堂だけである。

  
 9体の阿弥陀像を横一列に安置しているために、堂は横に細長い。仏像の拝観は今では堂内にて行うが本来は堂外から拝観した。

  
 堂内の撮影は禁止されているので仏像の写真は撮れないが鎌倉時代に製作された木造の吉祥天立像は美しい像として知られ一見の価値がある。常時公開されていないので拝観するためには前もって拝観時期を調べておく必要がある。

  
 三重塔 「浄瑠璃寺流記事」によると治承年(1178年)、京都の一条大宮から移建されたもの。初層内部に柱がなく心柱は初層の天井から立てられという特異な構造である。

  
 この塔に安置されている薬師如来像が建立当初の本尊である。毎月8日、彼岸中日、正月三が日のみ公開されている。

  
 三重塔から見た本堂 本堂の阿弥陀如来と三重塔の薬師如来は向きあって安置されているという。

  


○岩船寺

 岩船寺(がんせんじ)は京都府木津市加茂町にある真言律宗の寺院である。山号は高雄山(こうゆうざん)。本尊は阿弥陀如来。岩船とは変わった名前であるがこの名は門前にある岩船(いわふね)にちなんでいる。浄瑠璃時の近くである。

 中世の火災で古記録が失われたため、正確な草創時期ははっきりしていないが、寺伝によると天平元年(729年)に聖武天皇発願により行基が創建したと伝わる。承久3年(1221年)の承久の乱により建物のほとんどを焼失しており、三重塔は室町時代の再建である。

 アジサイの名所として知られ、地元では「アジサイ寺」とも呼ばれて親しまれている。

  
 寺の門前の風景。左下にあるのが寺の名の由来となった岩船で、昔の湯船である。右の細い道を上がっていくと白山神社と春日神社につながっている。

  
 左の十三重石塔は13個の笠石を積み重ねた高さ6.2mの塔で、鎌倉時代の建立。右の三重塔は室町時代の嘉吉2年(1442年)の建立、共に重要文化財に指定されている。

  
 アジサイで知られる寺であるが桜も結構美しい。

  
 浄瑠璃寺同様に池を中心とした浄土式庭園を持つ平安朝寺院の典型である。

  
 本堂は昭和62年の再建で、本尊の平安時代の阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されている。像は坐高2.8メートルを超える大きな仏像で、像内の墨書から天慶9年(946年)の作と判明している。

  
 境内の裏山には白山神社と春日神社の社殿が建っていて、左の白山神社本殿は室町時代建立の重要文化財である。