●金閣寺と銀閣寺

○金閣寺

 鹿苑寺は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺である。金閣寺は通称。鹿苑寺の寺名は足利義満の法号「鹿苑院」に因む。室町時代前期の北山文化を代表する建築として平成6年に『古都京都の文化財』として世界遺産に登録されている。

 この地には西園寺という寺と山荘が立っていたが応永4年(1397年)足利義満が河内国の領地と交換に譲り受けて邸宅(山荘)として改装したものである。義満は当時「北山殿」、または「北山第」と呼ばれたこの山荘で政務をとったのである。

 応仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くを焼失した。金閣は昭和4年(1929年)に(旧)国宝に指定された。また庭園も史蹟名勝天然紀念物保存法(現在の文化財保護法)により、大正14年(1925年)史跡・名勝(後に特別史跡・特別名勝)に指定されている。

 しかし昭和25年(1950年)7月2日未明、放火により金閣を全焼し国宝指定は解除された。その後各界からの寄付により昭和30年(1955年)創建当時の姿に再建された。

 絹本著色足利義満像など多くの文化財を擁するが本山である相国寺が管理し、承天閣美術館で保管されているためここでは見ることができない。

  
 入り口に向かう修学旅行生たち。金閣寺は京都を訪れる修学旅行生が必ず訪れる場所の一つである。

  
 金閣 正しくは鹿苑寺舎利殿という。

  
 銀閣(慈照寺観音殿)、飛雲閣(西本願寺)と共に『京の三閣』と呼ばれている。

  


  


  


  


  
 陸舟の松 足利義満手植えと伝えられる。京都三松の一つ

  


  


  
 夕佳亭(せっかてい) 寄棟造茅葺の茶室。明治初年に焼失し、現在の建物は1874年(明治7年)に再建されたものである。ご覧のとおり修学旅行生が引きも切らない。
 
  
 三畳敷の床柱は茶席としては珍しく南天の木が用いられている。

  
 不動堂 天正年間、宇喜多秀家の再建。金閣寺境内に現存する最も古い建物である。本尊の石不動明王は弘法大師作と伝えられる。


○銀閣寺

 慈照寺は室町時代後期の東山文化を代表する寺院として知られ、現在は臨済宗相国寺派の寺院である。銀閣寺としてよく知られる。

 開基は、室町幕府8代将軍の足利義政、嗣子足利義尚に将軍職を譲った義政は、 文明14年(1482年)から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。翌年義政はここに移り住み政務をとった。

 延徳2年(1490年)に義政は死去したがその菩提を弔うため東山殿を寺に改めたのが慈照寺である。

 慈照寺の観音殿のことを銀閣と通称するが、金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているが、銀閣と通称されるものの慈照寺観音殿には銀箔は使用されてはいない。銀閣と呼ばれるようになったのも実は江戸時代以降のことである。

 1952年3月29日に庭園が 特別史跡および特別名勝に指定され、1994年12月17日には『古都京都の文化財』として他の寺社と共に 世界遺産に登録されている。

  


  


  


  


  
 重層、宝形造、杮葺で、平面は長方形で正面8.2メートル、奥行7.0メートル。初層の「心空殿」は住宅風、上層の「潮音閣」は方3間(柱間の数が正面・側面とも3つ)の禅宗様(唐様)の仏堂で観音が安置されている。

  
 金閣および、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれている。