●石清水八幡宮

 石清水八幡宮は誉田別命(応神天皇)を主祭神とし、宇佐神宮、筥崎宮とともに日本三大八幡宮のひとつ。平安時代は二十二社の上七社の一つ、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社とされ、また明治社格は官幣大社、現在でも石清水祭に勅使が派遣されるなど古来より格式の極めて高い神社である。

 本社は貞観2年(860)、清和天皇の命により創建されたものであるが延喜式内社ではない。「石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水山寺( 摂社の石清水社)に由来する。

 創建以来、幕末までは石清水八幡宮護国寺と称した神仏習合の宮寺であった。本阿弥光悦・近衛信尹と共に寛永の三筆として知られ、松花堂弁当の名の元となったと言われる松花堂昭乗はその社僧の一人である。

 清和天皇の創建ということで多くの清和源氏の氏神として厚く崇敬され、各地に勧請された。鎌倉の鶴岡八幡宮はその一社である。いまではご利益を願う全国からの参拝者で賑わっている。

 建物、古文書の多くは重要文化財に指定されていてその数は多い。ただし国宝指定の物件はない。

 男山(標高143m)の山頂にあるので参拝にはケーブルで登るのが一般的。


  
 影清塚 参詣者はこの清水に影を映して心身を祓い清めたという。左が表参道、正面を行くと松花堂跡がある。

  
 多くの堂宇が存在していたことを物語る表参道脇の石垣 昔は山麓も含め壮大な規模を誇り、『徒然草』の著者、卜部兼好は山麓を当社と勘違いしたという。

  
 三の鳥居 参道脇には信者から寄進された無数の石灯籠が並ぶ。

  
 一個石 江戸時代には参拝の帰りに石の前で拝礼する習わしになっていた。

  
 南総門 この奥が社殿である。

  


  


  
 現在の社殿は寛永11年(1634)、徳川三代将軍家光によって修造されたものである。

  
 朱塗りも鮮やかな八幡造りの社殿には各所に極彩色の彫刻が施され美しい。

  


  
 左から住吉社、一童社、龍田社。後ろの壁は織田信長が寄進した土塀で信長塀と呼ばれている。瓦と土を幾重にも重ねて作られており、耐火性、耐久性に優れている。

  


  


  


  
 エジソン記念碑 エジソンがフィラメントに男山周辺の竹を使用したことに因む記念碑。昭和9年建立

  
 展望台 奥にあるのは谷崎潤一郎文学碑である。

  
 展望台からの景色 京都市方面を望む

  
 男山には自然が多く残され野鳥の宝庫である。

  
 京阪電鉄男山ケーブル 運賃大人往復400円也。15分毎に発車している。

  
 石清水社

  


  
 霊泉「石清水」 清水とはいうが・・・・

  
 松花堂跡 松花堂は江戸時代の僧侶で文化人でもあった松花堂昭乗が寛永14年(1637)に構えた草庵の名称である。しかし明治初年の神仏分離により移築され現在は「松花堂庭園・美術館」となっている。移転前の旧地は国の史跡に指定されている。

 現在、「松花堂」の名は松花堂弁当としてよく知られている。松花堂弁当は中が十字形に仕切られ、かぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当のことだが、これは松花堂昭乗が、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた入れ物を昭和の始め頃、大阪の「吉兆」の創始者である湯木貞一が、茶懐石の弁当に応用したのが始まりという。

  
 史跡指定の石碑

  
 この松花堂跡を降ると影清塚に出る。