古事記偽書説と上代特殊仮名遣い


 『古事記』には、その研究当初以降常に偽書の疑いがつきまとってきた。すなわち古事記はその「序」に記されているように太安万侶によって編纂されたものではなく、『日本書紀』が成立した後の平安時代初期頃に誰かの手によって『日本書紀』などを元にして創作されたものであると考える説である。

 古くは賀茂真淵に始まり、沼田順義、中沢見明、筏勲、松本雅明、大和岩雄といった多くの研究者たちが、『古事記』の存在が『日本書紀』『続日本紀』といった国の公の歴史書に記されていない、稗田阿礼の存在が疑わしい等の数多くの疑問点を提示、偽書説を主張していて、一部では支持されているが、上代文学界・歴史学界にはあまり受け入れられていない。特に1979年1月に太安万侶の墓誌銘が出土して以降は偽書説に関する議論すら下火になってしまった。

 古事記偽書説が、上代文学界、歴史学界にはあまり受け入れられていない理由は次に述べる上代特殊仮名遣いのなかで、『万葉集』、『日本書紀』ではすでに消失している「モ」の使い分けが『古事記』に残存していることが、偽書説に対する重要な論拠として大きく立ちはだかっているからである。

 『古事記』や『日本書紀』が編纂された時代はカタカナやひらかなはまだ登場していないので全ての文献は漢字で書かれていたわけであるがその使用方法を詳しく分析した結果、上代においては現在より多くの仮名遣いがあったことがわかっている。

 例えば万葉集では「雪」という言葉を表記するのに由伎、由吉、遊吉と書き、「月」を表記する場合は都紀、都奇と書く。「雪」の「き」には伎、吉を使用し、「月」の「き」には紀、奇を使用していることになる。そしてこれらは決して混用されることはない。
 すなわち「き」には伎、吉のグループと紀、奇のグループがあり、書き分けられていたことになる。この事実は古代において「き」には2種類の発音があったということを意味している。

 この事実は江戸時代においてもある程度知られていたようだが大正時代に国語学者の橋本進吉氏によって研究が大きく進められた。
 その結果、奈良時代以前には現在のア・イ・ウ・エ・オの五つの母音ではなく八つの母音が用いられていたことがわかっている。
 
 ア・イ・ウ・エ・オの五つの母音の中のイ・エ・オの母音がそれぞれ二種類存在していたのだ。日本語学の世界ではこの二種類を甲類、乙類と呼んで区別されている。
 これが上代特殊仮名遣いといわれるものである。

 これを表にすると次のようになる。

(ア列)
(イ列)
(ウ列)
(エ列)
(オ列) (モ)

 このなかのイ列、エ列、オ列の発音が二種類あるわけだが全てにあるわけではない。
 赤文字で書いているがイ列のキヒミ、エ列のケヘメ、オ列のコソトノヨロの十二種類に甲類、乙類の二種類の書き分けがあるのだ。このような書き分けは奈良時代の全ての文献で確認されている。

 しかし奈良時代末期になるとこれら甲類、乙類二種類の書き分けは次第に乱れ、平安時代にはほとんど見られなくなる。

 ところが『古事記』にだけは十二種類の書き分けにくわえて、「モ」にも甲類、乙類二種類の書き分けがあり、しかも二百余りの用例全てに書き分けがなされていて一つの例外もない。


 このことから「モ」の書き分けを持ち、『日本書紀』より多い十三種類の書き分けが存在する『古事記』の方が『日本書紀』より古い時代の文字表記であるとみなされ、これが『日本書紀』の成立より『古事記』の成立の方が先とする通説の決定的な証拠とされてきたのである。

 『日本書紀』の成立より『古事記』の成立の方が新しいとする古事記偽書説は次々と現れ、その内容もかなり説得力があったのだが、この問題だけはうまく説明することが出来なかったため、上代文学界・歴史学界に認められなかったのである。

 しかしこの上代特殊仮名遣いの問題を単に古い、新しいの時間の問題として考えるだけでよいであろうか。
 確かに奈良時代末期になると甲類、乙類二種類の書き分けが次第に乱れ平安時代にはほとんどなくなる。しかしこれはそれらの文献が書かれた中央の大和地方における事情でしかない。

 「天皇制の成立と古事記」でも述べているように『古事記』は全国的に実施された国民教化のための台本と考えられる。従って大和から遠く離れた地域でも使用されるということが前提として考えられていたであろう。そこでその表記にもそのことが考慮されていたはずである。

 九州地方とか東北地方に行けば平安時代であったとしても飛鳥時代以前の古い発音が方言としてまだ残っていたのではないだろうか。そのため十二種類の書き分けはおろかそれよりさらに古い「モ」の書き分けもまだ必要であったと筆者は考えている。おそらく平安時代以降もその古い発音は存在していたのではないだろうか。

 『古事記』の成立が『日本書紀』の成立より新しいにもかかわらず『日本書紀』より多い「モ」を含む十三種類の書き分けでしっかり書かれているのはこのためである。

 このことは逆に考えると『古事記』は全国的に実施された国民教化のために書かれた歴史書であるという何よりの証になるであろう。